本文―牛タンとGHQの密接な関係―

さて、先日と同じく
今回も牛タンについてを書き綴っていこうと思います。


仙台と言えば牛タンと言うほど
人気を博している名産品ですが、その歴史を
我々仙台人の中で知っている人は少ないように思われます。
この牛タンは果たして何時頃から食べられてきたのでしょう?
その歴史を紐解く鍵は、昭和初期の時代にありました。
太平洋戦争終結後に、その秘密はあったのです。


太平洋戦争後、仙台にもGHQが駐留していました。
ようするに、アメリカの軍人さんが来ていたわけです。
そのアメリカ軍の皆さんが主に食べていたものが、牛。ビーフです。
ですが、タンやテールを食べる習慣が無かったのでしょう
大量に余り、破棄されようとしていたところ
それに目をつけた一人の方が、牛タンという文化を作り出したのです。


その人の名前は、佐野啓四郎。
有名な牛タン店舗、太助の初代店主です。
つまり、牛タンはアメリカ軍の食べ残しから生まれた名産品だったのです。


そんな思わぬ境遇から生まれた牛タンですが
一般の人達はあまり外食するという習慣がなく
始まりから急激に流行りだした、というわけではなかったようです。
さて、では牛タンが仙台名物へのし上がるまでに、何があったのでしょうか。
次回、仙台人ではなかった!? でお会いしましょう。